スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | - |
4ヶ月検診
術後4ヶ月の検診にA医師の所へ。
いつものように看護婦の問診からスタート。

問診と視力検査。
複視はどの方向で起きているか、という質問に全方向、と答えたら「Wow」と返された。
ということはつまり、よっぽどの状態だ。(段々分かるようになってきた。笑)

続いてA医師の診察。
瞳の状態を診ていく。
複視は前回検診と比べて左と下にはやや改善されているが、右と上には変化がないとのこと。
後2ヶ月は様子を見るが、複視はこれ以上の回復は難しいかもしれない。
改善されない場合、この視界では問題があるので手術の必要がある、今丁度専門の医師がいるから紹介する、と担当医とも面会した。

ふぅむ、斜視の手術の類だよね。
まぁそうだなぁー。この4ヶ月の感触だとこれ以上は変わらない気がするし、今の視界では本当にどうしようもない。
手術はたとえ嫌でも必要だ…と自分でも分かるほど、実用性も身体に出ている影響も酷い。正直これでは片目失明している方がまだ日常生活に支障がない。これは複視を経験した人にしか分からない感覚かもしれない。見た目には殆ど分からないのだけど。

そのまま診察が終わりそうだったので、前回検診の際にテストするって言われたんだけど…と伝える。
すっかり忘れていたようで、あぁそうだった、今日もし可能なら受ける?というノリ。
こちらは万事自らアクションを起こさないと何もして貰えない(医療に限らず全てがそうですが)ので要注意。

術後初めての視野検査。
複視で真正面に眼球を据えられないので、検査中に中心のライトを見つめているだけでものすごく疲れた。術前とは大きな違い。
例えるなら、数分間ずっと思いっ切り視線を上に向けているような感覚。

-----

さて、現在の右目と全身の状態ですが…

・骨を切った影響による眼窩ラインの違和感(麻痺感のようなもの)は、前回記事更新後にかなり和らいだ。
・その代わり、眼球を押されるようなドライアイのような何とも表現し難い目の痛みを感じるようになった→ここ2〜3日はかなり楽。このまま軽減されるかもしれない?
・複視は酷い。なまじ視力はある(ただ乱視もある)ので、個人的には弱視が心配
・視力は数値で教えてもらわなかったが、たぶん横ばいか若干向上している思われる。乱視も相変わらず。
・複視による、頭痛と首〜上腕にかけてのラインの痛みが常にある
・炎症はほぼ横ばいだが、わずかに良くなっているかも??
・瞼は目尻を切って縫った分の影響を除いては、ほぼ支障なく開閉していると思う。見た目の変化と感触の違和感(寝起きの重さのような感じ)は当然ある。

手術によって影響を加えた正常組織は急速に良くなっていると感じます。
ただ、右目の機能問題とそれによる影響は逆にはっきりしてきた印象。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
現在までの右目の状態、総括
現在、術後3ヶ月ちょっとです。
思い付く順に書いていくので、把握し辛かったら申し訳ありません。

・瞼
熱感は数日で消え、腫れは順調に引いていった。
開閉は手術直後は全く開かなかったが、1週間後位から本当にわずかずつ開き始めた。体感としては開くようになるスピードは遅い。今もまだ完全には開かない。
目尻を元々よりも少しだけ深く、閉じるように縫われているので、全く元の通りに開くようになるのかな?と考えるとやや疑問。触覚においてそのための違和感もずっとある(開きにくいというのか突っ張り感と言うのか…)

・眼球
術前は突出していたが、術後は引っ込んだというよりしぼんでいるようだ。戻って来るのには1年ほど掛かると聞いた。
眼球は術後は全く動かなかったが、1ヶ月後位に突然左右には少しだけ動くようになった。
上下には今も全く動かない。従って複視は酷く、視界が使える状態ではない。
複視の回復が一番難しいらしい。術前並みに戻るかというと完全には難しいとA医師。実感では上下運動は今後も難しいような気がする。そうなると視界が使えるとはちょっと言い難い←この不便感は複視の人にしか分からないとは思うけれど…

・視力
落ちているというか…複合要素が多すぎて、結果全く実用的ではない
視力検査だけなら乱視を矯正した状態で行えばかなり見える。たぶん0.8位はあるんじゃないかな。(元々両目の視力は良く、1.0〜1.2はあった)
まず複視。そして乱視が酷いみたい。遠視になったようで手元ほど見えない←この点は年齢的に諦めるしかないのかも(笑)
術前から既にそうではあったが、なので右目の視野範囲を少し頼る(空間や明るさの把握くらい)以外は、実質左目しか使い物にはなっていない。

・骨、痛みや不快感といった部分のQOL
切った骨がくっつくまでに掛かる時間は2ヶ月。この期間は傷口ではなく、骨の切断箇所に触れられない感触だった。2ヶ月後から突然、他の部位同様に普通に扱える感触になった。
切った骨の箇所は、実感では目尻(外側ね)の1〜2cm周囲といったところ。すごく小さい。
開けてしまった鼻側の方は、術後は右の鼻腔に圧迫感が起きやすい以外は特に何もない。
ただ鼻から目に感染が起きやすいと思われる。6月に風邪を引いた後、目に菌が行ったのか眼球の一部から膿が止まらない。医師の指示通り目薬を差しているが、一向に改善されず。

上下瞼とこめかみ、上顎というか上頬一帯に麻痺感のような脱力感・筋肉疲労感があり不快。上から押されていたり、下に引っ張られているような感じでもある。→度合と範囲は日毎に徐々に良くなっている
鼻腔の圧迫感と目の周りの脱力感は疲れに比例するので、良いバロメーター(笑)
これらの感覚とは相当長いお付き合いになるのではと思う。大分慣れたが左右のギャップは凄い。

なお手術の際に上顎やこめかみ周辺の筋肉を思いっきり引っ張っているため、術後2〜3週間は事故の怪我の際に起きるような激しい筋肉痛様の感じがあり、殆ど動かせなかった。顎が殆ど開かず食事や歯磨きに工夫が必要だった。完全に口の開閉ができるようになったのは1ヶ月後位からだったと思う。


実生活面では、慣れて順応して行くので重大な支障はありませんが、咄嗟には右方向からの視界の何かには対応できない、細かい作業および運転は神経が疲れる、目の周囲の筋肉疲労というか麻痺感というか…は強いため、常にそこを動かそうとする癖が付いた、左右差の負担から来ると思われる頭痛や首肩の疲れなどがあります。目を使う仕事やOA仕事の方などは存続が苦痛かもしれません。
実感として一番不快・不便なのは複視です。とにかく眼球が上下に動かないのは閉口。私の場合、元々始まりも上目線での複視からだったので、この回復は難しいかもしれません。


当然いろいろありますが、手術をしなければ良かったとは思わないな〜。
いずれは必ずしなくてはならない状態だったし、術前はもう全症状が著しかったし。
米国で出来た、もっと言えばA医師に執刀してもらえたのは非常に幸運だったと思う。特に良性眼窩腫瘍の手術は、調べた限りでも米国の方が何歩も進んでいるような気がする。
入院と手術自体は、今となっては社会見学のような印象で、渡米して一番有意義な経験だったかも(笑)終わってみればあんなに気が進まない・憂鬱だったのは何だったの?という感じ。
何かあって治療を受ける際は、絶対日本より米国の方がいい!と思ってしまいます。
良性眼窩腫瘍 | comments(4) | trackbacks(0) |
術後最初の検診
色々とこれでいいのか!?と不安の多かった術後10日を過ごし、待ちに待ったという態で術後最初の検診日を迎えた。
何かあれば電話で取り次ぐよ、というダイヤルも教えてもらったのに、結局全く繋がらなかったし。
やっと連絡を取り付けた看護師からは、とにかく麻薬鎮痛剤を飲め、の一点張りだった。

まず耳鼻科を受診。ちなみにこの医師の検診はこれが2度目。
鼻から内視鏡を入れて様子を見る。このための麻酔の不快感や、こじ開ける痛みというか不快度合の方がリアルな手術経験感に思えた(笑)
モニターが私の頭の後ろで見られなかったのが大変残念だったが、見た旦那の話では眼球が直接見えたと言う。見たかったな〜。まだ中は血塊だらけだったそう。
とにかく有無を言わさず自分のペースに持っていく医師で、私達は前回も今回も質問を挟む余地すら与えられず、問題ないのでもう来なくていいと言われた。今となってはそれで大丈夫だったから良かったけれど、この医者は終始ほんとにもう…(嘆息)という印象の人だった。

次にA医師の検診。
まず助手医が来て、抜糸。傷口は目尻2cmほど。
本当に小さくて細かい縫い跡だったので、化粧用の産毛切りのような小さな鋏での細かい作業。
肉に糸が食い込んでいたので、痛みで言えば手術一連の中ではこれが一番だった。一番手術した実感が湧いた(笑)
表するなら傷口を抉る感触だけど、もちろん一瞬なので大したことはない。

炎症や、今起こっている事態(瞼が上がらないなど)、骨のこと、目の機能のこと…この10日間の疑問を全て質問する。
全て術後に必ず起こる状態で、具体的に何かアクションを起こす、という回答は一切なかった。
炎症の不快感が気になるなら気休めに市販の目薬を差せば、位。軟膏は解除になったので、もう何もしないのと同じだ。
視力は恐るべきスピードで回復しているらしい。
眼球が全く動かないし、まだ瞼を開けていられるほど(全機能に影響があったと思う。目は殆ど開けていられなかったし、家の外に出ると炎症が酷くなった)目の状態が良くもない、そもそも瞼自体が殆ど開かないので、実用とは全く比例しないけれど。

ともあれ、統括すると全て日にち薬とのこと。
次のA医師の検診は1〜2ヶ月後。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術直後の実感まとめ
おしなべて、苦痛らしい苦痛は殆どありませんでした。
直接的なものは、右頭全体の鈍痛(時間の経過と共に範囲が縮小され、逆に痛みははっきりしてゆく)と右鼻の出血と鼻腔の圧迫感。
苦痛というよりは不快の類です。
発熱もなし。
鼻出血とのお付き合いが不快かつ落ち着かない&頭を起こした格好で過ごさなくてはならない(完全に横にはなれない)けれど、その位。

最初の週だけは、身体的な実感としては風邪やら体調不良やらで家で休養していた、その辺りの感触が一番近いです。


右目は最初の数日はずっと熱感があり、ほぼ常にアイシング。
微量ながら目から分泌物も常に出ていて、アイシングのタオル素材は汚れたのでまめに交換。
縫合糸により、数日後から目の炎症が酷くなり、これはやや不安で不快でした。目から血が出たのは初体験だった。でも術後に通常起こる症状です。とにかく最初の1週間は何でも鎮痛薬を飲めと言われたのですが、後述の理由で我慢を選択。抜糸後は楽になってゆきました。

鼻出血は3日で止まりました。
止血後は後で、右鼻の奥に常に何かがある感触があり、非常に落ち着かない。ピロピロする感じ(笑)
運よく出てきたときに見たものは、巨大な1〜2cmほどの血と鼻水の塊、すなわち鼻くそでした(笑)
あんなにでっかいの見たことないからびっくりした…
生理食塩水で洗うことを教えてもらってからは取り易くなりましたが、術後2週間ほどは洗ってもすぐに出来る落ち着かなさとのお付き合いでした。
鼻の穴と中の浅い所もこじ開けているので所々切れていて、治るまでは多少痛い&不快だった。


処方された薬は以下だけ。
Hydrocodon-Acetaminophen 5-325 麻薬系鎮痛剤。日本では非認可ですが、こちらでは一番一般的で安全と言われています。
Ondansetron HCL 4mg 上の副作用止め。使いませんでした。センナでも構わないとか言われたのでそんなものだと思われる
Erythromycin 0.5% 縫合糸とドレン後に塗る軟膏。一般的な傷の感染予防でしょうね。
軟膏以外は必要ならどうぞ、というもの。

鎮痛薬、流石に最初の数日は切れると首や頭の鈍痛が強くて服薬していたものの、便意が全く起こらないことに閉口してすぐ止めてしまいました。結果前述の症状に悩まされるものの、鎮痛薬を使うほどだとは思えなかったんだよなぁ。
こちらでは過剰使用による依存や中毒も問題視されていますが、うーん確かに気持ちいいというより全身の苦痛が全部取れる(肩こりとか腰痛なども)ので心地いいんだけど、脱力感と便意の起こらなさ加減が苦手なので、私はいらないな〜。


実際のところ一番大変さを感じたのは、手術の出血による貧血。(輸血・自己血輸血共になし)
元々安静を言い渡されていた術後一週間は、ほんの少し動くだけで体が辛くなりました。
元来貧血持ちで(手術には支障なしとのこと)、手術の4日後はあまりの息苦しさに救急車を呼んだほど。バイタルチェックで異常がなかったので、そのままお帰り頂きましたが。
元々以前飲んでいた鉄剤を自分の判断で再び飲み始めて(術前は止められていたが、術後はOKとのこと)、徐々に改善されていきました。
こちらでは日本では処方薬の鉄剤がサプリとして市販されていて、A医師にも聞いてはみたものの、好きに飲めと言われてしまった。
体力の回復には2〜3週間ほど掛かったかな。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術翌日
朝6時台だったと思う。
A医師がやってきた。大変だなぁお医者さんの仕事…
ちなみに入院後、A医師とはこれが初対面でこれきり。耳鼻科医とはついぞ会わなかった。
旦那は手術直後に疲れ切った様子の2人から直接説明を受けたという。
何せ海綿状血管腫はとぐろを巻いていたそうですから、取るのに難儀したとのこと。

意識が戻ってすぐに、旦那から腫瘍は全部取れた&再発の心配はないと聞いていた。
取れる可能性は非常に低いと思っていたので嬉しかった&結果オーライで手術した甲斐があったなぁと思っていた。
ということはハイリスクだと分かっていたので、右目の残存機能には期待していなかった。

まずドレンを外す。特に心配していなかったが、わざわざ「全く痛くないよ。ちょっと気持ち悪い感じはするかもね」と説明された所を見ると、米国人は日本人に比べ痛みには弱いんだろうな〜と思った。
先進国で実際日本だけだと思う、痛いのを薬を使わず我慢させるのって。
実際、何の感触もなくドレンが外れる。
その後、右目の機能確認。瞼が動かないのでA医師が無造作に瞼を押し上げる。
術後初めて、一瞬焦った。何も見えない。
あっこれはダメかな?と思った、が、じきに明暗が分かった。
もう少しすると、目前に出された指の輪郭だけ、だが分かった。

A医師、あからさまに喜ぶ。

おお。これはやっぱり実際に確認するまで分からなかったんだろうな〜。
これだけ視神経周りと筋肉と血管と触っていたらそうだよな〜。

この時点では視力の質は問題ではなかったらしい。
残っている時点で、視力は徐々に回復していくと言われた。

といっても今は自力で瞼を動かせないんだけど。
視力より、今後瞼が開く気が全くしない。

で、もういつでも退院していいよ、と言われてむしろ焦る。
こちとらまだ看護師呼ばずにトイレに行っていいとすら言われていないんですが…
両日中は何時までいてもいいらしいので、ゆっくりしていけばと看護師。
いやまだ全然動ける気しないです…


ともあれ、夫婦そろって気が抜ける。
流石に私も旦那もお腹が空いた。
と思ったら、ミールサービスが注文を取りに巡回に来た。
こちらでは病院が食事を自動で出してくれるということはない。病院内のレストランなのか契約店なのか、がルームサービスよろしくメニューを持って注文を取りに来る。よって付添も注文はできる。
そのメニューがまたすごい。完全にアメリカンの普通食。全く病人向きではない。
ハンバーガーとか、サンドイッチやサラダ(こっちのボリューミーな)とかフライドポテトとか、そういうの。
私達には全く関係がないので問題なかったが、これ食事に支障のある人はどうするんだろうと思った。
(本当に必要な場合は専用食が給仕されるらしい)

看護師はアバウトにやって来るが、点滴もとっくに外れたし、トイレに行く以外はやることもない。
両手のルートが邪魔でストレスに感じられてきた。
暇潰しに時折スマホをいじる。少しですぐに疲れる。正確には右頭全体が痛くなってくる。

朝はごく軽く済ませたので、再び遅めのお昼を取る頃には、帰宅ラッシュの前に退院しようかという話になった。
とはいえまだ歩ける気もしない。相変わらずトイレの際に看護師は呼べと言われるし。
かなり強引に環境を変えることになるんだなーと思ったけれど、ふだん病み上がりって無理矢理動く方が元気になったりするよなーとも思い。

退院時間を告げ、ルートを外したり手続きをしたり着替えたりして、退院したのは16時前頃。
玄関までは看護師が車椅子で運んでくれたが、そこからはもう自力の移動。
具合が悪くなったりしないかなぁと少し心配になったけれど、何事もなく家の車で帰宅した。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術当日-術後
一瞬後に目覚めたときは、術前室と同じ視界だった。(場所は違ったらしい)
おそらく4〜5人?スタッフと旦那もいて、あー通訳してくれるから大丈夫だなと考える。
全身麻酔が切れてほんの一瞬だけ、ひどく苦しい感覚に襲われたが(例えようがない)、瞬時に点滴ルートから薬を入れてくれたので何ともなくなった。
移動した記憶はない。次の記憶は一般病室。

私の右目はどのような状態になっていたかというと、覆いは一切ない。包帯もガーゼもなし。
傷口に縫合糸と、その横に事前説明通りドレンが付いていたのみ。ドレンといっても受け皿は顔にテープで止められている位ごく小さな使い捨て軽量試験管で、大いに拍子抜けした(もちろん想像と大いに違ってホッとした)
入院中、点滴(夜中に外された)とドレン(早朝に外された)以外に有意識下で繋がれたものは無く、心身共に本当に楽だった。
周辺全体が熱を持って腫れている。事前説明通り。アイシングしていた。
目の周囲というか右頭半分には重くドーンとした感じはあるが、これなら術前の鈍痛の方が痛かった。(それだって大したことはなかったが)
瞼は全く動く気配がない。ああそうなのかーと思った。
骨を切っているが、直接的な痛みは感じない。
鼻の方は切った右に常に鼻血が出ている感覚だけはあるが、全くもって痛みはない。呼吸もできる。

総じて、手術した!というような痛みや苦痛はない。拍子抜けするくらい。

では、手術直後ちょっと困ったな〜とか煩わしいな〜と(他人事のように)思ったことは何かというと。
・右鼻からの出血は微量だがずっと続いていたので、頭を動かすと鼻血が垂れるため、身体を真っ直ぐにして寝ることや自分で立つことはNGだったこと←安静にしていても、常に喉奥に血が垂れ続けている感覚はずっとあった。鼻の出血は1週間ほど続くとのこと。
・モルヒネ系鎮痛薬と術中の尿管バルーンの影響で(目覚めたときには既に抜かれていた)尿便が著しく出にくくなっていたこと(いきんでも出ない&鼻出血に障るのでいきむなと言われる)

鎮痛薬が切れた所で、感じる痛みは鈍痛型頭痛のやや強いもので、これも術後のイメージとはほど遠かった。
えっこんなに楽なの?というのが、総じて術後入院中の感想。
看護師は1時間おきに来てくれるので、数時間後からは付き添い必須で歩いてユニットトイレにも行かせてくれた。(その前はベッドで採尿器)
トイレは退院直前まで難儀したけれど、すぐに帰宅することを考えると、無理を言って(バルーン入れた方が楽だよと夜中に再三言われた)自力でしておいて良かったなぁと思った。
朝方だったか、シャワー浴びる?とも聞かれたが、どうせすぐ退院だから家で浴びようとそれは断った。

ところで米国の病院は、基本は患者を入院させない。
よって、長期どころか数日入院させる仕組みにも作りにもなっていない。
例えば部屋は個室で、ユニットバストイレ付き。ベッドは移動してきたものそのまま。ベッドの横には簡易流し。
ベッドの上で一切動けなかったから分からないけれど、部屋はベッドで一杯のかなり手狭。ワンルームみたいな印象。
部屋は寒いかなと心配した(米国の建物内はどこも寒い)が、簡素な入院着と薄い上掛けでも問題のない、むしろ若干暑い室温だった。
看護師は夜中だろうが昼間だろうが1時間おきにバタンバタンとやって来て「ヘイガイズ、ハウアーユー」とバイタルチェック。規則だそう。彼らはとても親切で優しいが、睡眠は全く取れない(笑)

ベッドに居ただけだが、動ける状態でもないので、看護婦のチェックで眠れない以外は至極快適。
発熱もなし。
水分は手術の数時間後に解禁、食事は翌朝解禁。いずれも飢餓感は全くなく苦はなかった。


ちなみに、付添の旦那はちょっと大変だったと思う(苦笑)
手術時間は5時間半だった。
付添者の待機所はない。院内の手術課には受付があって、その前のソファ群(一般待合)が家族の待機場所だという。
椅子とコーヒーマシンしかない待合所にずっといるのは大変だし、かといって外に出るような精神状態ではとてもなく、旦那は自分の荷物と私の荷物を持って病院中をウロウロ彷徨ったそうな。
おまけに院内ではその日の食事も手配できなくて(スナックマシーンで小袋を買って飢えをしのいでいた)、結局この晩は旦那も眠れないわ空腹だわ部屋が狭すぎてカラダ痛いわ、と大変そうだった(笑)
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術当日-術前
受けた個人セッションのおかげで、手術の前々日までは平穏な気持ちで快適に過ごせましたが、流石に前日からは憂鬱でした。

3/28、手術当日。
朝から病院へ。(日付が変わった時点から絶飲食)
9時に着いた早々術前室(この日手術を受ける人が全員待機している場所。パーティションで区切られ簡素にベッドと申し訳程度にソファがある非常にシンプルな作り。海外の病院ドラマに出てくる一時室と大体同じ様子)に通され、まず着替え。
病院着に着替えるのだが、日本のそれとは比べ物にならない些末な作り。割烹着の形なので後ろが丸見えになる。
下着も全部取ってそれを着て、フードキャップも。靴下も渡されたが履きたくないので断った。別に構わないらしい。
これに靴や荷物を入れろ〜なんていうビニール袋も渡される。

次、こちらの病院では何処でも必ず行う身長体重、体温と血圧測定。
去ったら別の看護師が来て、同意書の記入や確認。
また別の看護師が来て、点滴のルート確保。

で実は入院から退院までで一番痛い思いをしたのが、このルート確保だった(笑)
元々血管が極細で、採血の際はどこでも看護婦泣かせ。
点滴は採血よりずっと太い針を左右1本ずつ入れなくてはならないので、かなりのベテランが来たにもかかわらず、いくつかの余分な針ぶっ刺し&左腕からは血しぶきが飛んだ結果(笑)、ベテランが更にベテランに交代してルートを確保。いやーすいませんお手数お掛けしまして。というか本気で確保が無理なんじゃと思ったのでよかった…
これが一番痛かったということは、結果から言うと一連の入院と手術はものすごく楽で快適だった。

この後もとにかく入れ替わり立ち代わり、色んな担当看護師や技師や事務員が来る。このときに処置も保険も手続きも確認も何もかも全部一気に行うため。処置や処理毎に全て分業。
とにかく仕組みが徹底して完璧に作られている印象。そして執刀医が完全に手術だけに集中できる環境と整備が整っている感。例えば日本の病院のように手術の際に麻酔専門医がいない、なんてことは米国ではありえない。

麻酔医も耳鼻科医とA医師のサブ医師(元々助手位置と思われる医師が各々に付いている)も説明と確認に来る。
慌ただしいことこの上ないが、おかげで憂鬱になっているヒマもないので有難い。
なお執刀医の2人は仕事中で来ない。どうもそういうものみたい。

術前1時間ほどは、こうしてベットの上だが慌ただしく過ぎた。
全ての処置やら手続きやらが終わったのか、その後はパタリと止む。こうなると待ち時間が…思い返してもこの時間が一番嫌だったなぁ。
たぶん小一時間ほど何もない時間を過ごした後、いよいよ呼ばれて手術室へ向かう。旦那とはここでお別れ。
ストレッチャーで運ばれ、手術室の前からは自分で歩いて手術台に乗って…初めて手術室の中というものを見たけれど、想像よりずっと簡素で大仰な所がなかった。
足にマッサージ器を付けるよ、と言われ付けられた辺りで記憶がない。ルートから麻酔が入ったのだと思う。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術の段取りを進める
2月。
A医師に不明な点を質問し説明して貰った。

・切開する骨とその概要(とにかく骨を切るのは嫌だったし、対処療法になるのも嫌だったのです)…蝶形骨(眼窩)の右横、篩骨(鼻腔から)。まず耳鼻科医が鼻腔から骨切開して腫瘍を内側から押すことで手術領域(視界)を確保する。その後に眼科が蝶形骨を切る。
 ちなみに切開箇所(傷口)は瞼の右横。目尻です。実際2cm程度でした。

・上を踏まえて手術内容の確認…開けてみて、腫瘍が取れそうであれば取る。
 無理なら骨を切って眼窩内に腫瘍が成長するスペースを確保する(対処療法)。

・手術時間は?…5時間位

・入院期間は?…一泊二日(手術当日に入院、翌日退院)

・術前検査の有無…ないよ(マジか→マジだった)
 系列の個人内科医に掛かっていた履歴があるためとも考えられます。そこで血液検査は行っていました。
 この病院は系列医院のデータは全て一括管理されている
 結局、それも含めると検査は過去のMRIとCTと血液検査だけだった…

・術後のケアは?…特に何も(マジか→マジだった)
 術後2週間はフットボールはできないけどね(ジョーク)

・リスク、デメリット等…ごく一般的なもの(全身麻酔の手術です)以外は特にないなぁ

・費用について…医師の管轄ではないので、担当者と保険会社から後日概算の連絡がある
 実際のところは保険でかなり安く済みました。今日現在迄の手術入院分の請求合計は$2500ほど。保険適用がなければ×10。※MRI等の過去の検査費用はまた別(MRIは高かったです)

当時のメモが残っていないので、上記の質問項目はうろ覚えですが、要約すると術前後共に拍子抜けする位何もない、というものでした。
そして実際にそうでした。
唯一出された指示といえば、出血に関連する薬は術前2週間から服用を中断する、というものだけ。
(そもそも普段飲む薬はなかったので、何も関係なし)


疑問点が解消したところで、手術をする旨を伝える。
ここからスケジュールが動き出す。
後は旦那に段取りをお願いして、スケジュールや費用や手配等が固まって行く。
手術日は3/28。年始に耳鼻科医の秘書から告げられた、これより前は空きがないと言われた日の2週間後でした。
既にあれから2ヶ月経っているにもかかわらず…ということは緊急性が高いということなんだろうな、と手術日が決まった時点で思った。
実際、手術2週前頃から自覚症状が著しかったので、以降なら本当に厳しかったかもなぁ…と今にして思う。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
やや余談気味な耳鼻科受診
放射線医へのアポが遅れに遅れた理由、それは我々の英語スキルにあったわけですが、発端は11月のA医師受診である。
放射線治療の可能性の話をしてもらったときに、医者を紹介すると告げられたのだが、いかんせんその医者を指す英語が分からなかったのだ。
通訳を入れないとこういうことが起こるわけだが、かといって通訳は電話のため医師に嫌がられる。付添の旦那は英語ができるのに何故通訳が必要なの?と言わんばかりで、途中で勝手に切られたりするのだった。いやいや分かんないです特定の医療単語なんて。日本だったら書けばまだ科や病の見当位は付きそうなものだけど、こっちは聞いても綴りでも皆目分からない。

で、昨年末。
私は紹介先をを放射線医だと思い込んでいたのだが、実際に行ってみたら耳鼻科医だった。しかもいざ受診しながら(えっ…この人放射線医じゃないよね?あれっ?)と思っていた始末。
なぜ耳鼻科を受診する必要があったのかというと、手術の際に腫瘍に到達するために、眼窩の脇と鼻腔から眼球裏に器具を入れ、(たぶん眼底の)篩骨を切って眼窩に到達する必要があったから。
手術の簡単な概要はA医師から説明を受けていて、耳鼻科と連携して行うと聞いてはいたので、手術にGOサインを出すなら必要な受診ではあった。
が。放射線医未訪だったため、この時点で私はまだ手術を決断していなかった。ので非常に混乱した。

この耳鼻科医には精神的に振り回された。
受診後すぐに耳鼻科医の秘書から電話が掛かってきて「手術の最短日は何月何日だ。申込と手配は私の所に連絡を寄越せ」というのである。
えっちょっと待ってA医師側からは何の連絡も貰ってないけどどうなってんの?それで本当に無事進行するの?というかまだ手術するって返事もしてないんだけど?
以前の記事で触れたように、こちらの病院では医師は独立して動く。病院が一括管理し手配して連絡をくれるということはない。だからスケジュールやアポはどこまで確認すれば万全なのか今一つ自信が持てない。おっかない。
そしてどうやらこちらの感覚では受診=手術するんでしょ?という反応のようだ。
こちらに来ると思うけれど、米国では日本よりずっとサクサクと諸々の手術や医療処置に踏み切る感覚がある。

余談だが、この耳鼻科医は請求書での吹っ掛け方も凄かった(笑)
とりあえず何でも請求してしまえ、な明細だったそうで(2人の医師に掛かったため比較するとよく分かる)、ことごとく保険会社にはねられていた&旦那も呆れていた。米国は医師によって医療費請求もバラバラなのだ。
終始振り回してくれるなぁ、という印象だったなぁ。


この応対に混乱した私は、いちいちこの後にA医師のアポを取って(医師を直に電話やメールで捕まえるのは不可能。直接話をしたければアポを取るしか方法がないと思う)、放射線医を再度紹介してもらって、そのアポも待って…とやっていたので、放射線医に会うまでに数ヶ月掛かってしまった、というわけでした。
経緯が分かり辛くてすみません。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |
方針変更と放射線科の意見
大分間を開けてしまいました。いかんいかん、記憶が薄れていく。

2015年11月、定期健診。
いつものように神経医の元で視野検査をしてもらったら、結果が著しく悪くなっていた。
もう一度MRIを撮れと言われたが、すぐ後にA医師の予約があり、まずそちらへ。

A医師からは、著しく右目の機能が落ちているので、なるべく早く手術をするべきだという見解を告げられた。
会った中でいちばん様子見派の医師からの、この提案。
本当にそうなんだろうな、と思うしかない。

ずっと経過観察だったのにいきなり手術を突き付けられると、すぐに決断できる心境になれない。
放射線で治療する方法があるかもしれない(が専門外なので分からない)というので、放射線医の紹介をお願い…したはずだったのですが、我々の英語力の限界で、放射線医とのアポはこの後更に3ヶ月ほど後にずれ込んでしまった。
時間は前後しますが、説明の都合上、放射線医受診のことを先に記します。


放射線科のスペシャリスト=主にガン治療なわけで、事前に調べた限りでも原則私の症例には使用されない。
そう言われる予想はしていたので、確認だけできればという気持ちでアポに臨んだ。
医師は語り口は穏やかだったが、旦那は今までで一番権威っぽい医者だったと言っていた(笑)

結論は予想通り「放射線治療はこれ以上腫瘍が大きくなるのを止める効果は期待できるが、ダメージや副作用の方が大きい。既に大きくなった腫瘍が右目の機能に支障をきたしているのであれば、手術を行うのが最良の方法だ」ということ。

イヤはイヤだけどもうもう手術しかないか…と諦観し、ここから手配を始めた。この時点で2月。
そうこうしている間にも(同年下半期〜手術直前まで)日々自覚できるほど状態は悪くなっていったのです。
実感として進行を感じたのは視力低下、複視、視野狭窄感、視界の暗さを感じる、視界の揺れ?(右目だけで見るとあまりの視界の揺れに具合が悪くなった。水中を裸眼で見る感じ)術前1週間なんて、眼窩圧迫による頭痛がずっとあった。
年末に撮ったCTでは、腫瘍は(私達が見た限り)以前の記事で掲載したMRI写真より、2周りほど大きくなっていたように思えた。
良性眼窩腫瘍 | comments(0) | trackbacks(0) |

Profile



こんにちは。ここから整体院・おおのしほこです。
1975年11月29日生まれ、いて座A型
音楽・着メロ制作→整体師→駐在員妻にてジョージア州在住。

Search

Category

Comment

Trackback